2016年4月10日日曜日

かけがえのない贈り物、そしていつか返すもの。



誰から贈られたのか分からない。
それを贈り物と呼んでいいものかどうかも分からない。
けれどもそれが、自分にとってはかけがえのない贈り物だったと、
そういう風に思えるものがある。

10年前、自分が独立したばかりの頃。
古民家を購入した友人が、その家の縁の下から、
古い古い道具箱を見つけたと、私に見せてくれました。

そこは昔昔、鍛冶職人の住まいだったらしく、
その朽ちかけた木箱のなかには、
使い込まれ、少し欠けてしまった鍛造用の金鎚や、
道具造りに使ったであろうタガネや金型が、
忘れ去られた時の永さだけ、錆び付き、朽ちかけながら、
それでも使われていたときの記憶を今にも語りだしそうに、
ひっそりと収まっていました。

いつでもまた、誰かが使ってくれるなら、
自分達はまだまだ働ける。
そんな風に、言われた気がして。
「よかったら、使ってもらえたら。」
以来、その道具たちは、まさに自分の右腕の先で、
鉄を打ち、ほぼすべてのもの造りに関わる、
なくてはならない相棒になりました。

例え単なる偶然であったとしても、
ありふれた出来事であっても、
他の人には、取るに足らないものであったとしても。
出会うことで、お互いに新しい「自分」が始まる。

そんな出会いを、かけがえのない贈り物と
思えることもあるのかもしれません。
その時、その喜びを、感謝を、お礼を、
自分も伝え、いつか返さなければと思う。

誰に返したらいいのか分からない。
「誰かへ」でもなく、「何かへ」なのかもしれない。
生きとし生けるものへ、この世界へなのかもしれない。
そして、それを「贈り物」と呼ぶのは気がひけるけれど、
いつか、何者かが、受け取ってくれることがあるのかもしれない。

受け継いだ鎚を、何かを、
振るい続けて、ずっと探し続けているものは、
きっとそういうものなのだと思う。



[メールマガジンRyuze+ 2016.4.9 に掲載のcolumnより]

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